May 29, 2011
物置き場になっている部屋のソファ
部屋に二人掛けソファ。アームレストの部分が楽できるので、足を伸ばして寝転がることもできます。が、最近のソファーはアーカイブされてしまい、誰も座ることができない状態。荷物がたまってくると整理はあるが、それでも数ヶ月後に回復。今ではソファに毎日眠ることにするしか方法がない気がします。ベッドを買うとき、デザインを最初に決定していたので長年使用している間に圧力がかかるのは、へこみになってしまい、結局は寝心地が悪くて何度も根がえりを打っていました。そのため、朝起きてもすっきりしません。寝て疲れて感じるようになってしまい、硬い強度のあるスプリングのベッドに交換をし、寝心地抜群です。
太平洋戦争で日本軍が玉砕したパラオのアンガウル島に立つ戦没者慰霊碑が、ホテル建設計画のため立ち退きを迫られていたが昨年、日本国内の人々の善意により無事移設された。「戦友の碑を守りたい」と奔走した玉砕戦経験者でパラオ在住の海洋生物学者、倉田洋二さん(84)は「きれいになった。皆さんに感謝したい」と、この冬、帰国して関係者らに移設の報告に回っている。
パラオは昭和20年の終戦まで31年間、日本が統治した。日米の激戦地となりアンガウル島でも日本軍の守備隊が玉砕した。戦後、倉田さんは東京都職員としてウミガメの食用研究を進め「カメ博士」と呼ばれた。平成6年、戦友の墓守をしたいと、パラオへ移住した。
アンガウル島の浜辺には「戦没日本人之碑 日本国政府 内閣総理大臣 吉田茂」などと刻まれた昭和28年建立の日本国の碑など慰霊碑26基と観音像1体が太平洋かなたにある日本の方角を向いて建てられていた。ところが平成20年に地主から移転を求められ、島内で代替地を確保できたものの移設費に苦慮した。
倉田さんが同年、一時帰国して寄付を募って回ったが、戦友会は解散し、遺族の多くは亡くなって連絡が取れなくなっていた。戦友のため奔走する倉田さんの姿を本紙などが紹介したところ、3つの団体と100人を超える個人から目標の80万円を上回る約350万円が寄せられた。
当時、厚生労働省は国が建てた碑の移設費は国が負担するとしていたが、同省外事室は「倉田さん側から費用が十分集まったため負担に及ばないとの連絡があり、お任せすることにした」という。約250万円かけ平和公園を整備し、すべての碑と観音像を移した。熱帯気候で育たないソメイヨシノに代えて、真っ赤なインドザクラも約20本植えた。残金約100万円は維持管理費に充てる。
倉田さんは「新聞記事を読んで寄付してくださった方が一番多かった。本当にありがたい。だが関係者は亡くなっていき、私もこの年齢。日本の国が何とか永代供養を考えてほしい」と話している。
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【統営4日聯合ニュース】旧日本軍の元慰安婦、イ・ギソンさんが3日午前11時半ごろ持病のため病院で死去した。享年87歳。
「日本軍『慰安婦』おばあさんとともにする統営・巨済市民の会」によると、イさんは先月20日ごろ心臓まひを起こし入院し、闘病生活を送っていた。
1923年に慶尚南道・統営で生まれたイさんは、1939年に中国へ連行され慰安婦として暮らし、第二次世界大戦終戦(植民地支配からの解放)直後に統営に戻った。1993年に慰安婦被害者の申告を行い、地元を中心に慰安婦問題の解決を訴えてきた。
政府に登録した元慰安婦の生存者は、現在78人となっている。
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菅直人首相は14日、太平洋戦争末期に激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)を訪れ、遺骨の収集を行った。サーチナ総合研究所(上海サーチナ)が実施したアンケートによると、同島で日本軍に大量の戦死者が出たことについて「侵略戦争に参加したからだ。当然の報い」、「当時の日本の軍人全体に責任がある。やむをえないことだ」との見方が合計で5割を超えた。「命令に従うしかなかった軍人は犠牲者だ」との見方は2割程度だった。
◆「硫黄島で戦死した日本の軍人を、どう思いますか」との問いに対する回答状況は以下の通り(20日午後0時半現在)
(1)軍国主義による侵略戦争に参加して、命を失った。当然の報いだ…25.73%
(2)軍幹部や戦争犯罪行為があった者を除き、軍人に大きな責任はない。彼らは命令に従うしかなかった。戦死者は犠牲者だ…21.64%
(3)当時の日本の軍人全体に責任がある。幹部と一般の兵士では、責任の大小に違いがあるだけだ。多くの戦死者が出たのも、やむをえない…28.65%
(4)分からない…23.98%
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◆解説◆
中国共産党・政府は日中国交回復以前から、「日中戦争及び第二次世界大戦などは、日本の一部の軍国主義者が発動した。それ以外の日本人は、中国人民と同様に軍国主義の犠牲者」との見解を示してきた。「日本人全体に責任がある」と主張したのでは、両国の関係構築が難しく、賠償請求の放棄も、国内に説明できなくなってしまうとの考えがあったからだ。
日中国交回復は1972年。それまでに「国交」を結んでいた中華民国(台湾)は国家賠償を放棄していたので、中華人民共和国との関係正常化で日本が国家賠償を受け入れることは難しかった。日中双方は、「賠償」ではない形で日本が中国に協力することで了解しあった。(編集担当:如月隼人)
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